自慢話をすることの快感。
聞いたところによると、人は自分のことを話していると、脳内で快楽物質がドバドバ出て、それはおいしい食事を食べているときの快感に匹敵しているとかいないとか。
かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ。」と言へば、いかがはせむ。
それはクラゲの骨なんでしょうね。
と、当意即妙にからかいを言いかけて、豪快な性格だったと伝えられる隆家に、自分の言ったことにしようと言われます。
おそらく、中宮定子はじめ女房たちから、その「うまいこと」を賞賛されて、得意満面な状況だったことと思います。
めったにない僥倖を「くらげの骨にあふ」と、当時、言っていたようです。
それが、扇の骨と絶妙につながって、なるほどたしかに「うまいこと」言ったなと思います。
それを、枕草子に書くか書かないか、こんな自慢話は「かたはらいたきこと」であるはずだけど、周りの人々が一つも落としてはいけないよ、というからどうしよう、どうしようもない。
つまり、しかたがない、書いておくわ、ということです。
私は、本当は書きたくて書きたくてうずうずしているのを、周りが書けというから仕方なく、と口実を言っているんだろうと思うのですが、それは、私の悪すぎますかね。
これを書いているとき、清少納言の脳内ではさぞ快楽物質がドバドバと・・・・。