国語の種

当座は休校中の学習の手引きを載せます。

省略が多すぎて、何のことかわからない話

国語科「M」です。

 

大変な雨でしたね。

ウィルスも洗い流してくれれば良いのに。

 

さて、今日、休日出勤しまして、隣の市役所の工事と、校内のエアコン工事の騒音の中、動画を3本撮ってきました。

見直して、全く納得出来なかったのですが、これではいつになってもアップできそうもないので、今日、編集できたらアップしたいと思います。

一番納得出来ないのが、俺はこんな顔じゃない、ということなので、仕方ないと思います。

 

さて、「先づ、隗より始めよ」について、こんな質問が来ました。

昔の君主の話と、隗が王に話していることの関係がわからない。

 

ごもっとも。

これは教科書本文の省略が多すぎることに問題があります。

つまり隗は、このたとえ話で一体何を昭王に伝えようとしているのかということですね。それには、省略されている以下のような事情があります。

燕で、昭王という大さまが即位したとき
この国は開国以来の最大のピンチにありました。
前の王様が宰相(王にかわって政務を執る人)に政治を任せたところ、大変国が乱れ、
内乱が起こり、敵国にも攻められ、国として壊滅状態になってしまいました。
 
そこで、即位した昭王は富国強兵という難題を解決するために
他国から謝礼をたくさん用意して賢者を招こうとしました。
 
そして、誰を招いたら良いかということで
燕の賢者である郭隗に誰か紹介してくれと頼みに行ったのです。
 
すると郭隗は、他国から招くよりまずオレオレ、と言ったというのが、「先づ隗より始めよ」の骨子です。
郭隗は、自分を死んだ馬にたとえました。
そして、自分を優遇することで
すぐれた人物が集まってくるよと王に進言したのです。
結果、その通りになり、天下の賢者達が、我も我もと、うじゃうじゃ集まってきた、というわけなのでした。
 
彼は自分こそ賢者であると売り込んだわけではありません。
自分を厚遇すれば、自分よりはるかに優れた能力を持つ人物を招き寄せるための宣伝になると、言ったのです。
なかなかウィットに富んだ、しかも自分を能力が低い人物の代表と規定するところに、彼の余裕が感じられます。
 
私はこの話が好きなのですが、ここに理由があるのかなと思います。
 
自信のある人間は、地位や名誉には拘らないのです。