会話主がわからない時
「中納言参り給ひて」を自力で読もうとすると壁になって立ちはだかるが、会話主が誰か問題です。
①「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを、張らせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求め侍るなり。」と申し給ふ。
②「いかやうにかある。」と問ひ聞こえさせ給へば
③「すべていみじう侍り。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり。』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。」と言高くのたまへば、
④「さては、扇のにはあらで、くらげのななり。」と聞こゆれば、
⑤「これは隆家が言にしてむ。」とて、笑ひ給ふ。
⑥「一つな落としそ。」と言へば、いかがはせむ。
これだけあって、すべて、誰が言いましたというような形で、会話主が書かれたところが一カ所もありません。
これは、高校生のような古典の初学者にとって、大変苦しいところです。
いったい、どのように考えていけば良いでしょうか。
わかっている人もいると思いますが、
「 」のあとの、述語のあり方に注目するというのが、主語判別の決め手になります。
その中で特に重要なのが敬語の働きです。
①②③は、謙譲語+尊敬語 つまり二方面への敬語が使われています。
その中で、①は会話の前の部分と、会話中の「隆家こそ」と言う表現から、隆家とわかります。
ということは、謙譲語は会話の相手である中宮への敬意、尊敬語は話をしている隆家への敬意、ともに作者からということになります。
②、③は、①を受け手のやりとりですから、
①隆家が中宮定子に話しかけた
②中宮定子が隆家に話しかけた
③隆家が中宮定子に応えた
と予想がつき、それで読んでいくと上手くいきそうです。
敬語の働きも大いに参考になります。
では、④はどうでしょうか。
ここでは、「聞こゆ」という謙譲語のみが使われています。
尊敬語が使われていないことから、隆家、中宮定子以外の誰か、ということになります。
で、ほかに誰が登場しているか、全く示されていませんから、ここは一人称の文学である随筆であることから考えて、作者の発言ではないかと予想することが出来ます。
④作者が隆家に向かって話した。
⑤は④に対して、「隆家が言に」とあるから、隆家は作者に向かって話しているのだと判断出来ます。
⑥は、敬語が全く使われていません。
この部分は、どうも清少納言が枕草子を執筆中に、どんなことも落とすなと誰かに言われたので、自慢話も書くしか無いと、遠慮とも口実ともつかない言い方をしているところです。
具体的にこれが誰であるのかは、特定は出来ませんが、執筆中に作者の草稿を見た誰か、ということになりそうです。
ここなどは、初読で判断するのは難しいですが、敬語が全く使われていない、ということが一つの手がかりになることは知っておいて損は無いと思います。