国語の種

当座は休校中の学習の手引きを載せます。

李徴は自嘲した。

授業動画の中でも触れましたが、李徴はなぜ「自嘲癖」を持っているのでしょうか。

 

 旧詩を吐き終わった李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲るがごとくに言った。
 恥ずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、俺は、俺の詩集が長安風流人士の机の上に置かれているさまを、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を。(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思い出しながら、哀しく聞いていた。)

 

引用した最後にある記述から、李徴は、袁傪と同年に科挙に合格したころから、自らを嘲るような、このような言動をしていたことがわかります。

そして、それは虎になった今でも変わらないことに、李徴が今置かれている運命の悲劇性が、よけい際だって感じられるところに、袁傪の悲哀があります。

 

李徴は「狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」とあるように、博学才頴であるのに、あるいは博学才頴であるが故に、人となじまず、自分の意見を曲げない頑固な心を持ち、また自尊心が高い人間であることがわかります。

「自嘲癖」は、このような李徴の人格のどのような側面と結びついているのでしょうか。

この問題は、言うまでも無く、この小説の核心とも大きく影響しているわけですね。

つまり「なぜ李徴は虎になったのか」という問題です。

 

ぜひ、このことについて、自分なりに考え、借り物ではないあなたの考えを、文章化してみてください。