和歌は節をつけて詠われていたこと
「能は歌詠み」を読んでいて、次の部分が気になりました。
寛平の歌合に、「初雁」を、友則、
春霞かすみていにしかりがねは今ぞ鳴くなる秋霧の上に
と詠める、左方にてありけるに、五文字を詠みたりける時、右方の人、声々に笑ひけり。さて次の句に、「かすみていにし」と言ひけるにこそ、音もせずなりにけれ。同じことにや。
寛平の歌合の時に、「初雁」(という歌題)を、友則が、
春霞がかかる中を帰っていった雁が、今鳴いている声が聞こえることだ、秋霧の上の方で。
と詠んだ折、(友則は)左方であったが、(歌の初句の)五文字を詠んだ時、右方の人が、それぞれ声を出して笑った。それから(友則が)次の句に、「かすみていにし」と言った時には、声もなく静かになってしまったそうだ。(花園の左大臣家の侍の話もこれと)同じことであろうか。
歌合わせとは、左右に2チームに分かれて、同じテーマで和歌を詠み合い、審判が勝ち負けを決めるというゲームです。
歌人の腕の見せ所であったわけですね。
ここの部分ですけど、寛平の歌合わせに参加した、古今和歌集の選者の一人である、
紀友則が、最初の五文字、「春霞」と詠んだ瞬間、歌合わせの相手側がみんな笑います。
このときのお題は「初雁」です。
雁は、秋に北方から渡ってきて春に飛び立っていきます。
だから、秋のお題で、友則が「春霞」と詠んだものだから、相手チームが笑ったというのですね。
ところが第二句の「かすみていにし」と言ったときには、静かになったというのです。
この場面。
現代人の私たちが、普通に朗読したら不可能ですよね。
そんな短時間で笑ったり黙ったり。
チョー忙しいわけです。
もうわかったと思いますが、当時、和歌は朗詠されていたわけですよね。
どのように節をつけていたかは、はっきりとはわかりませんが、今でも百人一首とか、皇室の歌会始などで、和歌に節をつけて朗詠している場面はみられるので、ある程度はイメージできると思います。
ここでも、節をつけて、ゆっくりと、歌われることによって、初句で笑い、第二句で静かになる、というリアクションが可能になるわけです。
そんな、当時の歌の発表の仕方について、こんな小さな記述からも、リアルによみがえってくるところも、古典の楽しさの一つと言えるでしょう。