国語の種

当座は休校中の学習の手引きを載せます。

小野篁、広才のこと

嵯峨天皇とか、何々天皇という呼び方のことを諡と言います。

これは天皇が亡くなってからつけられる名前です。

この話が引っかかるのはそこです。

「無悪善」を「さがなくてよからん」あるいは、ほかの古典作品では「さがなくてよし」「さがなくばよかりなまし」「さがなくばよけん」などと読まれているのですが、要はこれ、嵯峨天皇への中傷の札が内裏に立てられた、ということになります。天皇に対する不敬罪ということでしょう。

この立て札を嵯峨天皇小野篁を呼んで読ませたというのが、前半の話ですが、諡を生前に問題にしていることから、実際には無かった伝説であろうというのが、一般的な受け止めです。

つまり、嵯峨天皇も、篁に尋ねなくても読めていた、ということなのでしょう。

嵯峨天皇は、「おのれ放ちては、たれか書かん」、篁が犯人だから読めたのだろうと疑うわけです。このような芸当は篁にしかできないだろうと考えたわけですね。

疑われた篁は、だから読みたくなかったんだよというわけですが、その篁に「何でも書いてあるものは、きっと読めるのだろうね。」と「子」の字を12字連ねたものを読ませるのが後半です。

即座に読んだ篁に嵯峨天皇は感心して、嫌疑は晴れます。

やれやれ。

しかし、「無悪善」の犯人は、本当に篁ではないのでしょうか。真犯人のことは、全く触れられていません。この話がやや食い足りなく感じるのはそこです。あるいは、わざとぼかして書いたのか。

恐らく、筆者は、篁の才能の高さを褒めることに関心があって、天皇を中傷する立て札が立ったという事件については、関心を持たなかったということなのでしょう。

しかし、私は、そちらの方が気になってしまいます。